第9回 「私の大好きな音楽家」

今回は、私がピアノに触れるずっと前の幼い頃から毎日のようにその音楽を聴き、心を震わせていた大音楽家について書こうと思う。
その人は、イタリアオペラ界が熱く燃えていた黄金時代にその輝かしい美声と端正な容姿と迫真の演技で地位を不動のものとし、大スターの名を欲しいままにした偉大なテノール、「黄金のトランペット」とその歌声を称えられたマリオ・デル・モナコである。

私の父がこの上無くオペラを、そしてマリオ・デル・モナコを愛しているのだが、私がまだ揺り籠に入って寝ている時も彼の歌う「オテロ」の最終幕の壮絶なアリアが毎日のようにガンガンに大音量で鳴っていたのである。デル・モナコ扮するオテロがこのアリアが終わりに近づいた時に、悲劇的な叫びをあげながら自らの胸に短剣を突き刺す瞬間、私も全く同じ音程と長さで、しかも非常に劇的に「ア~~~~~ァ!!!!!」と真似ていたらしい。
つまり私は、自意識の目覚めの遥か前からモナコの歌声と音楽をたっぷりと聴いて、その強烈でドラマティックな音楽に触れていた事になる。そのせいか、彼の録音を聴く時感動と同時に何かとても懐かしい、言ってみれば「ホームグラウンド」的なものを感じてしまう。こう書くと、あの天下のマリオ・デル・モナコ相手に何を大それた事を言っているのだ、と思われる方もいるかも知れない。しかしながら、これは私の素直な感覚を以ってして述べているのである。それ程、彼の歌声は長い時間を掛けて私の生活に密着し多くの事を教えてくれた、言わば音楽人生の師匠的な存在だと言えよう。


彼の歌声は本当に力強く、また情熱的である。別の言葉で言うと大理石の様にずっしりと重量感があり、そのスケールの大きさは宇宙的だ。
遠く先を見据えた長いフレージングと、ドラマティックだが完璧なまでに厳しい拍感に支えられた音楽と歌声は、彼の死後20数年経った今でも色褪せる事無く金字塔として光り輝き、聴く者の心を捉え感動させずにはいられない。


歌は音楽の原点中の原点である。そしてどんな楽器よりもダイレクトに人の心を捉え感動を与えてくれる。たまたまピアノという楽器を職業のパートナーに選んだ私だが、常に歌の持つ原点と魅力から離れる事は出来ないだろう。
そして、これからも偉大な「黄金のトランペット・マリオ・デル・モナコ」の歌声と音楽に感動し、多くの事を学んで行くであろうと思うのだ。