第3回 「演奏家のコンディション」

初めての国、自分にとって未知の場所へ飛行機や列車を乗り継いで旅をし、前もって決められた時間に静まり返った演奏会場の中に入って行く。
今夜自分の全てをゆだねる事になる初めて出会うピアノの前に座りゆっくりと耳と身体を、その空間に慣らしていく。
そして今夜の演奏会での自分のパフォーマンスに期待し心を弾ませつつ心地良い緊張感に集中していく。
時には突然押し寄せて来る言いようの無い恐怖と不安と戦いこの場から逃げ出したいという発作的な欲求を必死で追い出しながら、文字通り『ギリギリの崖っぷち』の心境でステージに出て行く。
その時その時の心の状態は微妙に違うものの、これまでに何度この果てしない動作を繰り返したことだろう。
ステージに出て行く前は「もうこんな事は止めにしたい、これで最後にしよう、そう しよう!!」と決心してしまう程心のコンディションは最悪だったのに、いざ聴衆の前に出て行くと本当に真っ直ぐと音楽と向き合えひたすら集中し楽しんでいる自分に驚いたという経験も幾度となくした。

「コンディション」、とひとことで言ってもその実態は全くをもって複雑怪奇であり、簡単にまとめ上げる事は不可能である。
しかし、とても大切で興味深い要素が一つ有る。それは演奏をする国、都市が持つそれぞれ多種多様な空気や聴き手である人々の出す雰囲気や、彼らの芸術や文化と接っす る際の意識の違いから生まれる演奏家への影響だ。
勿論演奏家にとってどんな時も演奏する場所が何処であろうとするべき事はたった一つ、今接している曲を自分という人間が持つ感性や信念、そして肉体を通じて忠実に音として再現しなくてはならない。これは基本的に何ものにも影響を受けない中心にあるものである。
しかしながら、少なくともこの要素は私にとって非常に大事であり、演奏家である前に心と肉体を持った人間である故、どうしても直接影響を受ける事になって当然の事だと思うのだ。
時にはその空気と感覚が自分の持つ、又は求めるそれとあまりにかけ離れていた場合 は、その場所で演奏する事がとても難しいものになってしまった事もあったし、その ギャップに苦しむ事にさえなってしまう。

ただしこんなマイナスな経験は稀で、大抵はそれぞれの土地の空気、景色、新しく接する人々との交流等に自分の心も感覚もフレッシュに良い影響を受け、とても強く前向きなプラスのエネルギーを貰っているうちに自然に演奏するという行為や何度となく弾いてきた曲も本当に新鮮に感じられてくるのが殆どである。色々な場所に出掛けて行ける演奏旅行の一番良い点はここにあると思う。
初めての景色を観て散歩をし、初めて味わう美味しい物を楽しみながら今夜のステー ジの準備を頭の中でする。緊張感は伴いながらもとても楽しい瞬間である。

国や都市に対しての好き嫌いは当然有る。それはなんて事のない詰まらない理由から来るものだったり、開演時間になってもなかなか鳴らないベルを寒くガランとした殺風景な控え室で延々待ちながらすっかり冷え切ってしまった身体と眠気までに支配さ れている頭に鞭打ちながら演奏したとある演奏会が有った町やホールは今でも何となく印象が良くない。
ゲンキンなようだが、本当に集中出来、100%では勿論無くても今の自分の考えている事や聴き手に伝えたかった物が素直に出せたと心地良く感じる事が出来た、何よ り聴き手にもそれが伝わったとその反応ではっきり感じた演奏会の有った国や町はと ても印象が良かったりする。

実際に色々な国や町に出掛けて行って演奏してみるとそれぞれの持つ空気や風土や人々のかもし出す雰囲気の違いは実に大きい。
同時に演奏会を企画する側の人間の国民的な性質や習慣の違いも本当に有り、私のよ うな若い駆け出しの演奏家は大いにそれに振り回される事になるのだが、これは又機 会をみて語らせてもらおう。
もちろん、いつでも何処でもどのような状況でも、常に最高の演奏を目指し、準備 し、それを可能な限り出す事が私達演奏家の義務なのだけれど・・・・・ 

ブダペストに来て間もなくレンタルしたMUSICA BUDAPEST-WIENと ’97頃から今もお付き合いしているSCHEEL。 2台ともとても古いピアノをリフォームしたもので、それぞれ非常に 味わいのある音を持っている。 現在のSCHEELは、タイプとしては硬質な音だがとてもよく鳴り、アクション も非常に優秀だ。

トーク3Piano